朝なんてこなくてもいい、って思ってたんだ。

どんなものにも代え難い大切なひと、僕の生きる全ての理由を持っていたあの方がいなくなるまで、こんな気持ちは知らなかった。
寂しいとか、悲しいとか、苦しいとか、その本当の意味を知らなかったんだ。

随分と長い間、底なしの沼に沈み続けていたような気がする。あんなにも心が冷え切ったのは初めてで、感覚すら鈍っていた。
このまま誰にもふれずに、氷になってしまいたい。誰でもいいから、僕を見つけ出して欲しい。
僕の中で2つの気持ちがぶつかる。

ぼくはなんのためにここにいるの?



苦しくて息が吸えない、声が出ない、僕が僕じゃなくなってしまうーーー
…いや、もう僕なんていなくてもいい。こんな僕なんて、いないも同然じゃないか。
ただ時間の流れに耳を澄ませていることに、何の意味があるというの?

そうだよ、僕なんて。僕なんて消えてしまえばいいんだ。
そうしたらこんな気持ちも全部消える。
今更なにが怖いというの?
なくしたくなかったものは、とうに消えてしまった。僕がいなくなって心が痛むひとはもういない。

それなら、いっそ。
いっそーーー…





「瑞希?」

目が覚めると、今まで息を吸っていなかったようなくらいの苦しさに襲われた。
起き上がって、咳き込んでしまう。そうしてようやく空気を吸い込めたところで、背中の暖かいぬくもりに気がついた。

、ちゃん…」
「大丈夫?うなされてたんだよ」

僕の背中を優しくなでる暖かい手。

「…大丈夫だよ、ちょっと怖い夢を見ていただけ」

笑顔を作れば、ちゃんは困ったように微笑んで、僕を包み込むように抱きしめた。
あったかい。
そうだ、この体温が、僕を溶かしてくれたんだ。
この子の呼吸が、僕の呼吸なんだ。

「…瑞希?」
「……っ、ぅ…」
「泣かないで…」

泣いてなんかいないよ。
違うよ、これは君が溶かしてくれた僕の心の雫があふれただけだ。
そう、君にふれて、君の優しさで生まれ変わったあの日からじわじわと溶け出した僕の心。

「悲しい…とか、苦しい、とか…怖いとかじゃ、ないんだよ…」
「……うん」
「幸せなんだ……独りじゃないことが、幸せで…っ」

髪をなでてくれるその細い指も、笑顔が絶えない表情も、僕を呼ぶ声も。
その全てが大切で、愛おしい。
壊したくない。どうか壊れないで。
そのためならなんだってするよ。だって僕には君しかいない。



夜が嫌いだった。
暗闇は孤独感をよりいっそう感じさせる凶器だ。夜には、決まって心に冷たい風が押し寄せてくる。
夜が、嫌いだった。
夜の訪れは朝の始まりを彷彿させる。僕にとっては朝なんてあってないようなもので、朝がくる意味が見いだせなかった。
朝がきて、1日が始まって、今日やりたいことは……そんなもの、僕にあったっけ?
おはようは、誰に言えばいいんだっけ?

「瑞希、大丈夫。私がいるよ」
「独りに、しないで…」
「大丈夫、大丈夫だよ。ほら、一緒に散歩にでも行こう?今日は朝からいい天気だよ」

ちゃんが指差した空は、朝陽をふんだんに纏った青空を広げていた。
こんなに、朝の空が綺麗だと思ったのは久しぶりだ。空の色なんて、見ても見なくても同じだったのに。

「綺麗な、澄んだ空色…」
「ここ数日雨だったから、やっと晴れてくれて嬉しいね」
「…ちゃん」
「なぁに?」
「……ありがとう」
「ふふ、私はお礼を言われるようなこと、なにもしてないよ?」
「ううん。ありがとう…そばにいてくれて」

朝はなんのためにやってくると思う?
新しい1日を知らせるためか、それとも草木が成長するためか、青い空を見せるためか。
僕にとっての理由は、そんなものではない。
僕の朝は、彼女のためにある。
君がいない朝なんていらない。君がいるから、僕には朝がくるんだ。




朝をくれる人





「…ちゃん、おはよう」
「うん、おはよ、瑞希」






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