ヒロイン死ネタにつき注意。




と付き合い始めてから、2年が経った。私達はお互いの存在が既に生活の一部へと変化し、一緒にいることが当たり前になっていた。
私はHAYATOをやめ、アイドルの一ノ瀬トキヤ。そしてはmixの天才と言われるほど、編曲に長けていた。

彼女の異変に最初に気づいたのは私だった。その日の朝は、空が雨でも降りそうな雲で覆われていた。よく覚えている。
私はいつものようにの部屋で朝食を作ろうと、彼女の部屋を訪れた。朝は動きの鈍い彼女に朝食を食べさせることは、私の日課になっていた。

合鍵を使って部屋に入ると、リビングにの姿は見つからなかった。まだ寝ているのだろうかと思い、寝室へ足を運ぶと、がベッドの上でうずくまっているのが見えた。どうしたのかと近寄る。
大丈夫かと声をかけた。彼女はちらりと私を見上げる。その額には汗が滲んでいた。どう考えてもおかしい。
どこか痛むのか尋ねれば、彼女は小さく首を縦に振った。私はすぐに携帯を取り出し、のマネージャーに連絡をとった。
その後、病院に行って何種類もの検査を受け、それが終わったころに体力を使いきったは、病室のベッドの上で眠ってしまった。
結果が出たので、私と彼女のマネージャーで医師の説明を受けた。



余りにも残酷だった。
彼女の体に悪性の腫瘍が見つかったのだ。既にリンパに転移していた。もう手遅れで、手術も投薬治療も見込めないという。若さによる進行の早さを呪わざるをえなかった。

本人には隠さずに伝えた。最初こそは愕然としていたが、翌日はまるでそれを感じさせないほどに穏やかな表情をしていた。
病室は個室である。彼女は編曲がしたいと言った。すぐにマネージャーが社長に掛け合って、特別に最低限の機材を病室に運んだ。彼女は病の辛さを全く感じさせない、優れた編集を何件もこなしていった。


入院生活は半年を迎えた。が日に日に弱くなっていくのが、手に取るようにわかる。治療はできる限りしてきたが、どれも満足な効果は得られなかった。
は、起き上がることもなかなかできなくなっていた。楽譜を手にすることもない。病室の天井を見上げていることが多くなった。

そんな時に、私は彼女のマネージャーに呼ばれた。目元を腫らしていたので、ただならぬことを言われると予想は出来ていた。
余命1ヶ月。もしかするとそこまでも無理かもしれない。
マネージャーの弱々しい言葉は、私の頭に張り付いて離れなかった。余命、という言葉だけがその時の私を支配して、他のことなどすっかり忘れてしまっていた。
にそのことを言ったのか尋ねると、既に告知したとの返答だった。



治ると思っていた。万に一つの奇跡が彼女におこるものだと、ずっと信じてやまなかった。彼女の病は治り、私達は今までのような幸せを取り戻す。それができると、当たり前のように思っていた。
しかしもうその望みすら奪われたことに、私はようやく気がついた。定められていた運命だった。




「ひどい顔だよ…」
「……」
「…聞いたの?」

何も答えられなかった。病室は白く、彼女の痩せ細った体の輪郭がよく見えて、笑った顔は無理をいくつもしていた。見ていられない。

「あのね」
「……」
「一緒にいてくれて…ありがとう」
「…!や、やめてください!そんなの聞きたくな、」
「聞いてよ…もう、次会うときは、言えないかもしれない」

笑顔は崩さずに、が言う。とてもじゃないが聞ける心境ではなかった。そんな遺書に書かれるようなことを聞くなんて、私はこの事実を嫌でも受け止めなければならないじゃないか。

「…私の病気がわかっても、離れないでいてくれて、ありがとう…。傍にいてくれて、ありがとう…。トキヤがいてくれて、本当に、幸せだったよ」
「や、めて、ください…そんなの…あなたがもういなくなるみたいな……っ」
「…いなく、なるんだよ…」

私の頭をゆっくり撫でた。頼りなく力のない細い腕は、それでも私の頭を繰り返し撫でた。目が合わせられなくて、彼女が横たわるベッドに顔を伏せてしまった。

「…トキヤ…ねえ、私…もう一度ハヤトに会いたいな…」
「え…」
「最後、だから…」

最後ではなく、最期なのだ。きっとそう遠くない未来に駄目になると、彼女もわかっていたに違いない。余命宣告を受けても、彼女の表情に変化はなかった。もしかしたら、私が知るよりずっと前から、知っていたのかもしれない。
私は伏せていた顔をゆっくり上げた。

ちゃん、こんにちは」
「ハヤト、久しぶりだね…」
「わっ、ちゃん大丈夫!?トキヤから聞いてたけど…こんなに元気ないなんて…」
「…あのね、今日はハヤトにお願いがあるの…」
「えっ…なぁに…?」
「トキヤに、伝えて欲しいの…。きっと、彼は私からは、聞いてくれないと思うから…」

が少し悲しそうな顔で言うので、HAYATOは彼女の手を握った。ほっそりした、骨と皮だけの手だった。心臓が締め付けられるように痛む。

「なあに?ちゃん」
「…私、トキヤには幸せになってもらいたいんだ…。私がいなくなっても、トキヤには…幸せを見つけて欲しい…。彼はきっと、私のことをずっと忘れられなくて、自分だけが幸せに、なる、なんて、できない…って……思ってる……」

呼吸が辛いのか、の言葉は途切れ途切れだった。彼女の手を、少し力を強くして握る。ふわりと笑って、はHAYATOの目元に手を伸ばした。

「泣かないで…」
「えっ…わ!ご、ごめんね…泣いちゃってたんだね…」

小さな頼りない彼女の手が、HAYATOの手を握り返した。その手を包み込むように、HAYATOも握り反す。
トキヤのときには堪えられた涙は、HAYATOでは堪えられなかった。ぽろぽろと落ちる雫を一生懸命に拭うが、それでも止まる気配はない。

「我慢しなくていいよ…」
「っ、でもっ、」
「思いっきり泣いても、いいんだよ…」

堪えられるわけがなかった。思い切りを抱き起こし、そのまま彼女の肩口で声を出して泣いた。は、HAYATOの背中をぽんぽんと優しく撫で、時折さすってくれていた。それすらも切なくて、涙はとめどなく溢れてしまう。

「…ハヤト、」
「な、なに…?」
「ハヤトのことも、大好きだよ…」
ちゃ…」
「トキヤが悲しそうなときは、傍にいてあげてね…」
「…っ!わたしはっ、あなたが、あなたがいなきゃ、あなたにいてほしいだけなのに…っ!」

苦しくて切ない。がいなくなるなんて、考えたくない。でも残された時間が僅かだということは、本当は私もわかっている。

「トキヤ…」
「あなたを失うなんて…!わたしは、もう、もうっ…」
「トキヤ」

彼女の今の声量ではつらいぐらいの、大きな声だった。
私は肩口に置いていた顔をゆっくりと上げる。と私の視線が同じ高さになって、彼女は私の頬を両手で包み込んだ。

「ほんとは…私があなたを、幸せにしてあげたかった…」
「…っ、」

今は、どんな言葉でも私の涙の元でしかない。辛くてを見ることができなくなる。しかし彼女が真っすぐに私を見つめてくるので、逸らすことの方ができなかった。この瞳の輝きは、あと少しの命しか宿していないのだ。

「でもね…私にはもう、むりみたい…」
「そん、な、わたし…っ」
「けれど、トキヤは、幸せになれるの。幸せに…なってほしい……それだけが、私の願い」
…」
「トキヤと恋をできて、幸せだったよ…」






彼女はその12日後に、この世界から消えていった。静かな最期だった。私は撮影があったために、彼女の最期には立ち会えなかった。
芸能界は、時として残酷なものだ。悲しみに暮れることも許されず、笑顔を要される。私と彼女の関係が公でなければ、尚更のこと。




ちゃん」

こじんまりしたその墓では、彼女が眠っている。の父と母が入る前に、彼女が一足早く入っていた。が好きだったピンクのチューリップの花を沿え、手をあわせて目を閉じる。

「トキヤがね、たまに泣くんだ。でも、泣いてばっかりだったらちゃんに怒られちゃうからって、前より笑うようにもなったんだよ。ちょっとだけ無理してるみたいで見ててつらいけど、ボクも泣いてるトキヤより笑ってるトキヤのほうがいいと思うんだ」

聞こえるのは風の音だけ。チューリップがゆらゆら揺れる。

「でも、やっぱりたまに泣いちゃう。ボクもね…。だってちゃんのことが今でも大好きだから。もっとちゃんと一緒に…いたかったな…」

彼女なら何と言うだろうか。ずっと傍にいるよ、とか、そういう慰めの言葉をくれるのだろうか。それとも、早く笑って、と少し叱るのだろうか。どちらでも構わない。の言葉が欲しい、そう思ってしまう自分がいる。でも、

「…心配しないでください、私はちゃんと、幸せになります。あなたの分まで」

もう悲しみに暮れるのは終わりにしよう。ここからは、彼女の残した言葉と夢を道標に。私は、が夢見た光になろう。あなたが手の届かない夜空に輝く星になったのなら、私は皆の笑顔を生み出せるような星に。そして2人で同じ輝きを放つのだ。それは例え方角の違うものであっても、光は必ず私たちを繋ぎ止めてくれるだろう。そうして私の光があなたの元へと届いたときに、あなたの幸せな微笑みをもう一度見れるような気がする。あなたと約束した夢を叶えるまでは、私は何があっても輝き続けなくてはならない。例え厳しい現実がそこにあったとしても、私にとって彼女との夢ほど、自分の理想といえるものはないのだ。


「愛しています、あなたも、お幸せに」






(また、遠い未来に会いましょう、お元気で)



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